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2012年 11月 02日

『富士そば』

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『富士そば』 NEX-7 Color-Skopar 28mm/3.5 @西新宿・東京

 晴れ。

 昨日の「パースは画角で決まる」話の続き。自分たちの世代は、長い間フィルムで撮影をしてプリントしたものを見続けてきたので、こういう被写体が、こういう風景に収まっていると、背景がどのくらいの大きさでどのくらいぼけるかというのを共通認識として持っていた。いや、そんなに難しい話じゃなくて、家族スナップを含め、新聞雑誌に溢れていた写真の大半は、35-100mmくらいのレンズで、24mm×36mmのフィルムに写し取られたものだったので、写真というのはこういう感じに写るものだというのを本能的に理解していたのだ。だから隅々まで焦点の合ったスーパーリアリズムの絵画(って、昔流行ったのだ)のリアル感に違和感を覚え、逆アオリで極端に前後をぼかした画像を見るとマクロレンズで撮ったミニチュア写真のように感じるのだ。
 
 フォーマットによる写りの違いについて考えるようになったのは、宝宝をカメラで追いかけ回すようになったからだ。部屋の中をちょこちょこ動き回る宝宝は80cm足らずであるから、いつものレンズでいつもの距離で撮影すると、宝宝は画面中にぽつんと小さく写ることになる(自分はそっちの写真の方が好きなんだけど)。それを身長が160-180cmくらいの大人と同じような比率で画面に入れようとすると、撮影距離を半分にするか焦点距離を倍にするか、いずれにしても背景を含めた世界観は大きく変わってしまう。周囲の小物が大きく写っているという単純な理由だけでなく、足元からのピントの立ち上がりかたとか、背景のボケ具合とか、そういうあらゆる情報から、やはり宝宝は小さいのだということが伝わってくる。コンパクトデジタルカメラのような被写界深度が深い(フォーマットが小さい)カメラで撮るとつまらない写真になるのは、物の大小でしか大きさが判別できなくなるからだと思う。言葉にしにくい、気配のようなものがなくなってしまうのだ。
 
 そういう意味で、フルサイズのちょうど半分くらいの大きさであるマイクロフォーサーズの写真は、世界を半分くらいに圧縮して写しているような感じがする。マイクロフォーサーズの25mmとフルサイズの50mmは同じ標準レンズだけど絶対同じ写りにはならない。こういうことは街撮りスナップでは意識しなかったことだ。写真表現に関してはメリットでもありデメリットでもあるが、同じではないというのははっきりしている。…でもパースは一緒だよ。

■本日のBGM:Video Killed The Radio Star / Buggles
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by yas_tak | 2012-11-02 23:15 | 日記


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